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『さらざんまい』が『天岩戸』の話と似ている説

もう間もなく『さらざんまい』は2周年を迎えます。めでたい!

幾原邦彦監督の作品『輪るピングドラム』も10周年を迎えて、劇場版の制作が決定したようです。
クラウドファンディングでプロジェクトを立ち上げて、集めたお金で新作パートや音響・音楽のクオリティをより高いものにしたり、新作映画を見る場を作るそうです。
そしたらなんと、募集開始から15分で目標金額を達成!2時間足らずで目標金額の3倍以上を達成したようです。すごいですね。
どんな劇場版が出来上がるのか楽しみですね。


それではぼちぼち、カッパアニメ『さらざんまい』について、新たに気づいたことなど、書いていきます。

公式HP⇒『さらざんまい』



『さらざんまい』が『天岩戸』の話と似ている説


『さらざんまい』と『天岩戸(あまのいわと)』の話は似ている!

と思ったので、両者の共通点を挙げて、この2つが似ているのかどうかを比較してみようと思います。
『天岩戸』説は、私がネット上で見かけたのは「サラがアメノウズメに似ている」というものがありました。サラが巫女風な見た目をしているため、サラと日本神話・神道を絡めた解釈は多いといえるでしょう。

『天岩戸』とは?:日本の古い書物である『古事記』、『日本書紀』に書かれたもの。
太陽の女神アマテラスが岩戸にひきこもってしまい、世界が闇に包まれてしまう話。
アマテラスは『古事記』ではイザナギが禊をした時に、左目から生まれてきたとされる女神。神々の住んでいる高天原(たかまがはら)を統べる偉い神様で、皇室の先祖であるとされている。

japan_amaterasu_oomikami.jpg


『天岩戸』ってどんな話?:
ある日、女神アマテラスは、弟のスサノオが働く数々の狼藉(ろうぜき)にショックを受けてしまい、天の岩戸に引きこもってしまう。
太陽であるアマテラスが姿を消してしまうと、世界は闇に包まれてしまい、悪い神々がのさばり、様々な災いが起こる。
それに困った八百万(やおよろず)の神々は河原に集まり相談をして、様々な儀式を行う。
ニワトリを集めて鳴かせたり、占いをしたり、八咫鏡(やたのかがみ)や八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作ったりした。
榊(さかき)の木の上の枝をヒモを通した玉飾りで飾り、中の枝には八咫鏡を引っ掛け、下の枝には木綿と麻布をかけた。
それをフトタマが捧げ持ち、アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱えて寿(ことほ)ぐ。
アメノウズメという若い女神が桶を伏せて置いて、その上で足を踏み鳴らして踊り出す。神懸って半狂乱で踊っているうちに服が下半身まで脱げてしまい、神々はそれを見て大笑いする。

外の騒がしい様子が気になったアマテラスは、扉を開けてそっと外を見てみる。
アメノウズメに「なぜ皆笑っているのか?」と聞いてみると、アメノウズメは「あなた様より貴い神が現れたのです」と言った。
すかさず脇に控えていた神がアマテラスの前に鏡を差し出し、アマテラスを映し出す。

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そこに映る自分の姿を貴い神だと思い込んだアマテラスが、よく見てみようと身を乗り出したところ、力持ちの神に岩戸から引っ張り出される。
そこへもう一人の神が背後の岩戸の入り口にしめ縄を張って、アマテラスが再び岩戸に戻れないようにする。
こうして地上には太陽が戻り、再び世界は明るくなった。
その後スサノオは神々から罰を受け、ヒゲと手足の爪を切られ、高天原から追放されたのであった。


以上が『天岩戸』の話です。
世界が真っ暗になり、その後再び世界が明るくなるという話は、蝕(しょく)を表しているともいわれています。
蝕とは天体が他の天体に重なり、見えなくなる現象のこと。
例えば、月によって太陽が隠されることを日蝕といい、地球が月と太陽の間に入り、地球の影が月にかかることを月蝕といいます。
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共通点
・アマテラスが弟のスサノオが働く数々の狼藉にショックを受けてしまい、天の岩戸に引きこもる。 → ケッピがショックを受けて黒ケッピと分裂して黒ケッピが行方不明になる。
・夜になると悪い神が暴れる。 → カパゾンビが暴れる。
・ニワトリを集めて鳴かせる → ケッピが「グッ モーニン!」と言う。あまり自信はない。ケッピがよく怒っていたのは、トサカにきていたからなのかもしれない。
・神が占いをする。 → サラも朝のテレビ番組で占いをする。
・木に勾玉と鏡と木綿と麻布を引っ掛ける。神への捧げもの。 → 尻子玉。
・アメノコヤネが祝詞を唱える → カッパが戦いの前に歌う。
・神懸って踊るアメノウズメが下半身をさらけ出す。 → カパゾンビのお尻から尻子玉を出す。
秘密の漏洩。見せたくない秘密を人に見せるという点で同じ。
ちなみにこの時アメノウズメが踊った舞は、神楽舞の起源であるとされ、アメノウズメは巫女の由来とされている。アメノウズメは芸能・芸術の神とされ、神を降臨させる力を持った巫女である。その点では、サラと似ている。なおカパゾンビとはレオとマブが歌って踊り、黒ケッピ(引きこもった神)の力を降臨させた怨霊・祟り神である。

・アマテラスが鏡を見る。 → 第一皿で主人公の一稀が「kappazon」の箱から女装道具を取り出して、鏡を見ながら女装をする。鏡を見るという行為は、自己の内面を見つめるという意味がある。
・スサノオが神々から罰を受け、ヒゲを手足の爪を切られ、高天原から追放される。 → ヒゲと手足の爪は獣性を表している。カワウソの消滅。そして罰を受けるのは罪を清めるということで禊。悠の少年院行き。
・しめ縄を張る。 → 完全体ケッピとサラの復活と、『さらざんまい』のテロップ下の円の並び。

なぜ完全体のケッピとサラが境界なのかというと、この2人が蛇のように見えることに関係がある。

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『さらざんまい』 第十一皿より


しめ縄には蛇が2匹絡み合った姿という説がある。実際に蛇の形のしめ縄を飾っている神社もある。
つまり、蛇の姿をした2人が寄り添っているのを、しめ縄と見立てることができるのだ。

<エンディングが流れる前のワンカット>

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『さらざんまい』 第十一皿より


「さらざんまい」の文字の下にある円の並びがしめ縄に見えなくもない。

2021/4/13追記 どうやら「さらざんまい」のタイトルロゴには2種類あったらしく、もう1つがこちら。

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『さらざんまい』 PVより


こちらの方がしめ縄をしている様に見える。逆に<エンディングが流れる前のワンカット>は、しめ縄が取れているように見える。
<エンディングが流れる前のワンカット>の円の並びは境界の意味ではなく、境界がなくなり、つながった状態になったことを表していたのかもしれない。


しめ縄には結界、境界の意味があり、内側は神聖な領域を表す。
話の節目節目には境界が出てくる。他に境界の例として吾妻橋がある。

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<アニメのラストシーン>

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『さらざんまい』 第十一皿より


カッパを乗せた船が、橋の内側の世界から外側の世界へと出ていくシーン。船は未来へと進んでいく。

結果
以上のことから『さらざんまい』と『天岩戸』は、多くの部分が似ているといえる。

考察
なぜ『さらざんまい』と『天岩戸』の話は似ているのだろうか?
「そう見たいからそう見えただけでは?」と思ったかもしれないが、『さらざんまい』には神話に共通している象徴が盛り込まれているため、日本の神話の1つである『天岩戸』とも似ていたのではないだろうか。
例えば、地下や洞窟に潜っていく(黒ケッピの体内に入る)、死者(悠の兄)に会いに行く、洪水が襲う(水の中で溺れる)、死からの復活(ケッピの復活、悠の橋からダイブ)などは各地の神話でよく見られるパターンである。
以前に『『さらざんまい』と地母神のつながり』で書いた、ギリシャ神話のデメテルの話や、エジプト神話のイシスとオシリスの話、日本神話のイザナギとイザナミの話でも『さらざんまい』との類似点が見られた。
『天の岩戸』とこれらの神話は、それぞれ昼と夜のサイクル、蝕のサイクル、季節のサイクル、生と死のサイクルを説明している。
これらはすべて、終わりと始まり、死からの再生・復活、繰り返される周期を描いているという点(というか円?)でつながっている。
つまり『さらざんまい』とは宇宙の摂理を表しているすごい話なのかもしれない。なんか壮大になっちゃいました。


『聖母戴冠』


最終話ではサラがレオとマブの手により王冠を戴くシーンが出てくる。

sarazanmai_oukan.jpg

『さらざんまい』 第十一皿より


これは『聖母戴冠』、『聖母被昇天』といわれるキリスト教美術のテーマと似ている。
『聖母戴冠』とは、聖母マリアが死後復活し、肉体を持ったまま天国へ召され、天国で王冠を授かることを指す。
王冠を授けるのは、神であったりキリスト、天使である場合もある。

このテーマで数多くの画家が絵を残している。その中でもスペインの画家ディエゴ・ベラスケスの描いた『聖母戴冠』と構図がよく似ている。

La coronación de la Virgen


このシーンが表す意味は、死からの再生・復活といえるだろう。
他にも、このシーンからはサラがアイドル(永遠の乙女)から聖母になったと読み取ることができる。
復活前のサラがケッピを抱っこしているシーンは、母親と赤ん坊のイメージを思わせたが、サラの中身はやはり乙女そのものというかんじであった。
それが聖母となったということで、出産(死からの再生・復活)が可能になった女性になったということを表しているのである。


カワウソの歌の考察


カッパに歌があるように、敵のカワウソにも歌がある。
カワウソの歌には、こんな歌詞がある。
「去勢された負け犬ども、牙を剥け」
この言い方、経済高度成長期を生きた団塊世代の人々が若い世代に向けていう「最近の若者は欲がない」というセリフと同じニュアンスを感じないだろうか?
あなたはオッサンがこんなセリフを言うのを聞いたことがないだろうか?
「我々の若い頃はもっと若者がギラギラしていた。昔の若者は車や家を買うことを目指していた。今の若者はまったく欲がなくて~」
ちなみに私は聞いたことがあります。

そう、実はカワウソの正体は、高度経済成長期の日本が繁栄していた頃の人々なのだ!ウッソー!ではない!

カワウソとは栄光の時代を忘れられない人々の過去への執着、怨念なのである。
こうすると、なぜカワウソの姿が巨大になるのかが、理解できるようになる。
人々の欲望を搾取する側がひたすらに巨大化、肥大化していく社会。
それをあの巨大化したカワウソは表しているのである。

カッパ王国の石碑にカッパがカワウソに相撲で負ける絵がある。

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『さらざんまい』 第六皿より


これは勧進大相撲の絵とよく似ている。
勧進相撲とは、室町時代の頃から行われ、当初は寺社や橋の修復の資金集め(募金)が目的で行われた相撲興行である。しかしその後、目的が営利営業へと変化していく。現在の大相撲の源流らしい。

上図ではカッパは土俵の上の1匹きりで、周りは大勢のカワウソに囲まれている。
これは利他の精神から、自分の利益だけを追求する精神へと変化していった比喩ともとれるのである。


鎮魂


カッパがカパゾンビから尻子玉を引き抜いた後、カパゾンビの欲望を見て、「そうか!わかったぞ!」と相手の気持ちを否定せずにわかってあげようとします。
それにより、暴れていたカパゾンビは浄化されて成仏します。
相手の気持ちに寄り添うこと、相手のことをわかってあげようという気持ちが、荒ぶる御霊の鎮魂に大事なことなのかもしれません。

<荒ぶるシーズー>
dog_hoeru_kyouken.jpg



2021/4/10 「アメノウズメのカパゾンビ降臨」、「カッパを乗せた船」を加筆修正しました。
2021/4/13 ネット上での『天岩戸』説、ケッピがニワトリな理由、「さらざんまい」のタイトルロゴ、荒ぶるシーズーの画像を追加、利他の精神を加筆修正しました。
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seazoo557

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